蔵人

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(思い出の続き)

狭い休憩所の真ん中に巨大な明らかに過能力のストーブが燃えている。煙突が天井を突き抜けて部屋の外へ続いているが絶対排気漏れしている。

そのストーブを囲む様にイスが並べられているが20cmくらいしか離れていない。すね毛が燃えそうである。

一番奥側のイスに横にでかいおじいさんが座っている。さっき人事担当者にちょっかいを出していた張本人であるがこの人が杜氏さんである。杜氏の体重に耐えれないのかぼろぼろのイスの下からバネが数本飛び出していて張ってある布はところどころめくれている。
見るからにふてぶてしく踏ん反り返っている。

その左前の席には神経質そうなおじいさんが座っている。手にタバコを持っているが銘柄はエコーと言う見たこともないタバコを美味しそうにフィルターぎりぎりまで吸っている。このイスも癖物で一見革張りなのだがバネがヘタっているせいか沈みに沈んでイスがあるのにウンコ座りみたいになっている。
この人が頭(かしら)さんである。この人は以前はどこかで杜氏をやっていたらしく、
「杜氏なんかやるもんじゃない」と口癖のように言っていた。
頭さんは、なんとなく作業着が軍服に見えて、大日本帝国軍人みたいだ。

その左隣にも、頭のイスと同じイスが置いて有り、背の高く、ガタイのとても良い船の船長が良く被る帽子を被り、ウンコ座りになるまで沈み込んだおじいさんが、マイルドセブンを根元まで吸っている。
この人は、亡くなった前杜氏からここに働きに来ている。もう三十年以上ここでお世話になっているらしい。
今の杜氏も今年からここに来たらしく、杜氏は大体チームで連れ立ってくるのでこの人は移植の存在である。この人は搾り一筋三十年で船頭と呼ばれている。だからキャプテン帽子なのである。
この人のおかげで私は前杜氏の技術、心意気などの指導を得ることができた上、その時の現杜氏の技術など得ることが出来たのは運が良かったのかな。船頭は夏は左官職人で職人とはこういうものだ!!と職人道を教えてもっらた。

その左前にちょうど杜氏と対面する形で私が座らされたがストーブが邪魔で杜氏の顔が見えない。
話をするたびに顔を横に出さなければならない。イスは割りとその中では新しい部類のイスでバネもしっかりしている。
私のジャージが熱せられ変な匂いがしてきた。我慢、我慢。

その私の左前に小柄な若者が座っている。人のこと言えないが青白い。
私の学校の先輩で一つ年上である。蔵人たちにとってからかわれ役で本人は意外とプライドが高く、
それが凄く不満そうだった。

その左隣には二人並んで座れるベンチシートでその右側に目のクリッとしたたぶん新潟からの出稼ぎで一番若いおじさんで蒸し米や洗米をする釜屋さん。たぶん五十台半ばぐらいで一見おとなしそうに見えるが実際はかなり短期でせっかちで頭が悪かったと言うと悪いので頭が個性的だった。

その隣に麹やさんが座っていて、かなり年配に見える。座っているが足がかなり曲がっているのが解る。
実際のところは解らないが骨折してほかって置いたみたいに見える。

この休憩所にはいないが精米所に大ベテランの精米長。静かで小柄だが職人気質で厳しく、最高の腕前。この人も前杜氏が連れてきた人で船頭と仲がいい。

もう一人精米助手が一人。この人も割りと若い部類で機械に強い。

後、いろいろな手伝いをしてくれる地元、瀬戸のパートのおじさん。

実際出稼ぎに来ているおじいさんはかなりタフボーイで筋骨隆々で私の周りのお年よりは体の悪い部分自慢をする人ばかりだったが、蔵人からそんな話を聞いたことがない。
それに中には七十歳前後のお年寄りが本当に嬉しそうにエロイ話を話し合っている。
かっこいい!!!!
私のあんなふうに年をとりたいものだ。

ここにはいないが、最後に杜氏後継者。この人も私の学校の先輩で年は私より七つ年上の大先輩。
この時期杜氏は、私たち後輩には優しかったのだが、杜氏さんたちとあんまり合わなかったのか、亡くなった前杜氏の事が整理できないのか、良く理由はわからないがあんまりここで休憩したくないみたいだった。仕事はしっかりやるし蔵人も受け入れようとしているのだが何かあるんだろう。


私はありきたりの挨拶を済ます。
蔵人もどこから来たの?いくつ?等私がわかりやすいよう、標準語を交えながら話してくれた。
結婚はしとる?
ハイ、しています。
何だあ、○○!先越されちゃったなー!と私の一つ上の先輩に投げかける。
先輩は面白くなさそうだが、笑って取り繕っている。

そこで白衣を先輩から借りた。ぴちぴちである。
長靴も誰かのを借りた。

八時になって、頭が「出すか」と言うとみんなぞろぞろと立ち上がり休憩所を出て行く。
私もこの暑い部屋から早く出たく一緒立とうとすると頭に
「杜氏が話がある」といわれこの熱気に満ちた空気の悪い部屋に太った杜氏と二人きりになったのである。次回に続く荒川

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このページは、ginjohkoubouが2007年9月24日 09:35に書いたブログ記事です。

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